ネット小説☆女達のトラベリン・バス☆168

まるで高級ホテルの様な個室に入るとスタッフがベッドの横に椅子を用意してくれた。
促されるように座りフラワー・バスケットを典子に渡す。

「ありがとう!まぁ可愛い!!」

ワンちゃん好きな典子の表情があどけない程に明るくなる。
するとスタッフがそれを受け取りベッドの横の棚の上によく見える様な角度で置く。

ドアの前で一礼して退室するスタッフから中へと顔を向けると遥子の視線は自然と典子の頭部のニット帽に向いてしまう。

それに気付いてか典子は帽子をサッと取り払った。

「!」

目を丸くする遥子。

「うふふふ。まるで尼さんみたいでしょ」

自慢の黒髪が影も形も無くなっている典子の頭部。予想はしていたがどう反応していいのか判らない。

「どうせ手術の時には剃らなきゃならないんだから今の内に準備しておこうと思ってね」と笑う。
用意周到で大胆な行動力は典子の人間的魅力でもある。

「あの、手術の日程は?」
「1ヶ月後の予定よ」
「まだ先なんですね」
「それでも前倒ししてくれた様よ」

典子の入院、手術に関する手続きは費用も含めて全て会社が請負い執刀医も業界屈指の名医を手配してくれた。
名医だけに本来なら半年待ちでも覚悟しなければならない所だが経営陣がこの病院の医院長と旧知の仲で色々と便宜を図ってくれたのだ。
つまりはそれだけ典子は会社にとって必要不可欠な人材という事である。

「始めはもっと上の階の病室に通されたんだけど、そこがまるでスウィート・ルームみたいに豪華でねぇ。全然落ち着けないからこの部屋に変えて頂いたのよ」
「でもこの部屋も快適そうですね。病室には思えません」
「私は大部屋でも平気なのにねぇ。瀧本常務から此処を使う様に言われちゃって」
「そうなんですか?」
「そうよ。私が要求したんじゃありませんからね!常務命令で『仕方なく』このお部屋に居るのよ!」

同時に笑う二人。

「でもちょっと安心しました。体調も悪くなさそうなので」
「お薬が効いてるからかしらね。でも御陰様で一時よりは本当に楽だわ」

プロジェクト準備真っただ中では仕事に関わっている社員は皆、疲労困憊の中頑張っていた。
そんな時、典子はある日を堺に何を食べても味覚を殆ど感じなくなり逆に顔の筋肉や体の一部には麻痺の様な違和感を感じる様になってしまうも疲労の蓄積による物だとゆう素人判断とリーダーであるが故の責任感で病院にも行かず仕事を続けてしまう。
そして準備が整い一段落した後も症状が一向に改善しないので念の為に検査を受けてみたら脳に腫瘍が見付かってしまったのだ。

「神様が私に「お前はこの仕事を引き受けるべきじゃない!」って言ってるんだと思う事にしたわ。今まで頑張った苦労が報われないのはちょっと悔しいけど」
「でも…私は良かったと思います。だってもしマレーシアに行ってしまった後に……」
「そうよね。向こうで倒れたら会社や色んな人に迷惑かけてしまうもの」
「そんな事より典子さんの命が!」

珍しく感情を露にする遥子。

「あっ、すみません…病院で大声なんて……」
「いいのよ。ありがとう」
「あの、とにかく……今は病気を治す事に専念して下さい!みんな一日でも早く典子さんがオフィスに戻って来るのを待ってますので」

みんなと言っても典子の入院は役員以外では遥子と課長を含め極少数の社員にしか知らされておらず病状は極秘扱いとなっている。

「そうね。それが今、私がやるべき事ね」
「はい!」
「うん」

暫し無言で見詰め合う。

「あ、それじゃそろそろ失礼します」
「来てくれて嬉しかったわ。気を付けて帰ってね」
「はい。典子さんもお大事に」

微笑む典子。

椅子を片付け出口に向かおうとする遥子。だが何かを思い出したかの様に立ち止まり振り返る。

「言い忘れてました。今回のプロジェクトの責任者は私が代わりに務めさせて頂きます。典子さんには遠く及ばない私ですが精一杯頑張ります」
「遥子ちゃん!」

立ち上がろうとする典子。慌ててそれを制止する様に遥子はベッドの方に駆け寄る。

「無理しないで下さいね!」
「大丈夫よ」

互いの両手を握りしめ再び見詰め合う。
典子の瞳から涙がポロポロと流れ落ちてきた。

「御免なさい。私が腑甲斐無いばっかりに………」
「そんな!」
「でも……貴女ならきっと今回のプロジェクトを成功させられるわ」
「典子さんになったつもりで全力を尽くします」
「ありがとう……」

就職氷河期と呼ばれる昨今、典子のお陰で今の会社に再就職出来た遥子。
それだけで無く典子は色んな場面で本当に自分に良くしてくれた。
今こそ、その恩返しをする時だという想いで遥子はこの時、典子のピンチヒッターとなる決意を固めた。

病室を後にすると遥子はナース・センターに一声掛けてエレベーター・ホールへと向かう。

3台有るエレベーターの中央の扉が閉まりかかろうとしていたので次を待とうと思っていたらその扉が再び開いた。

「どうぞ。下です」

中から若い男の低い声が聞こえてくる。

「あっ、すみません」

乗り込む遥子。

「1階で宜しいですか?」
「はい」

若いが紳士的である。

目的階に着くとさりげなく開のボタンを押して遥子に先を譲る男。
微笑みながら会釈をして感謝の意を伝え先に降りる。

総合受付に立ち寄って挨拶をし外へと出る。帰りの交通手段を考えていると

「あの、すみません!」

突然背後から呼び掛けられ振り返る。先程のエレベーターでの男であった。

「はい?」
「人違いでしたら申し訳ないんですが、槙村遥子さんでは?」

遥子は過去の記憶を辿った。大学時代後半の記憶が浮かぶ。

「!、お、小野寺君!?」

それは麻理子の元カレ、小野寺泰昭であった。

つづく

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