現在、某有名アーティスト、K氏によるパフォーマンスが色々と物議を醸してる様ですが
この件に関して思う所あって炎上覚悟でオレの意見を書いてみたいと思いますヨロシク
先ず【表現の自由】は保障されるべき物だと思うし
K氏が実際に行ったパフォーマンスをオレは観てないけど
ネットで色々と見て読んで判断する限りでは【表現の自由】の範囲内では有るんだろうなとは思いました。
ただ同時に批判が起こるのも当然だとも思いましたね。
ってゆうか、それが狙いなんじゃないかと勘繰りたくもなったし。
賛否に関しては人それぞれの考え方が有ると思いますが
オレが気になったのがK氏を擁護する立場の意見。
その多くが「何をやろうと【表現の自由】批判するのはおかしい」という感じの物。
擁護してる人達全てを悪く言うつもりは無いけど
少なくとも上記の「」内の様な意見の人に対しては、それこそおかしいと思いました。
何故か?
それは【表現の自由】を盾に批判派の【言論の自由】を否定してるからです。
そもそも【自由】とは【何をやっても良い】かもしれませんが【何をやっても許される】という事では有りません。
「何をやってもいいよ。ただし、どんな結果になろうとも責任は自分で取れよ」
オレは自由とは、こういう事だと思ってます。
否【何をやってもいい】のでは無く【何をやってはいけないかを理解する】という方が正しいのかな?
とにかく【表現の自由】に対して批判が出るのも【言論の自由】
全てはK氏による【表現の自由】が招いた結果なのです。
自分はやりたい様に行動するけど、それに対して異論、反論は受け付けないというなら
それは自由じゃなく、ただのワガママだ。
表現者が何をテーマにどんな表現をしようと自由ですが
例えそれが周囲から間違った解釈をされたとしても
それを尊重するのが表現者の責任だとオレは思います。
勿論、K氏に直接、危害を加える様な事は絶対に許されないのは当然です念の為。
ただ批判に対して誤解が有るなら弁明、再反論すれば良いのであって
ですが批判派の意見に文句が有るなら、その中身に対して論理的に反論するべきで
批判その物を【表現の自由】で、かわそうとするなら
それは、ただ単に都合の悪い事は聞きたくないという幼稚な精神構造の表れなのではないか。
K氏も今回のパフォーマンスに関して理念なりポリシーが有るのなら
それを堂々と主張すれば良いだけだと思うが
いともあっさり謝罪した所を見ると恐らく何にも考えて無かったんじゃないかと。
大体、今回の様なパフォーマンスだって行う必要が果たして有ったのか?
「自由とは責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れるのだ」
劇作家ジョージ・バーナード・ショーの言葉をK氏と擁護派の皆さんにお贈りして〆たいと思います(←偉そうに)
あぁ柄にも無い記事を書いてしまった(笑)
コメント
今上天皇を軽視するような事は越えてはいけない一線をこえてしまったと思います。
表現の自由の履き違えも甚だしい極みだと私は思います。
japaneseさん♪^^
自分も天皇陛下を侮辱、軽視する様な振る舞いは一日本人として快く思いませんし、表現の自由の履き違えとゆうのも仰る通りだと思いますが、それでも、それを行う権利は、やはり有るのではないかとも思います。
その根拠を話すとなると非常に長くなりそうなので、この場では控えますが機会が有ればお話しさせて頂きたいと思います。
コメントありがとうございました。