拘置所、独房内にて、野々山忠雄はベッドに腰掛け、虚ろな眼差しで目前の壁を見詰めていた。
脳裏に浮かぶ光景が、まるで映画の様に、その無機質なグレーのスクリーンに映し出されているかの様な錯覚に陥る。
その映像は野々山自身の半生。
子供の頃から飛び抜けて頭が良く、成績は、いつも群を抜いてトップ。
ただ、頭が良過ぎる故に他のクラスメイトに対して、あからさまに見下す様な態度を取っていた為、気が付けば学校一の嫌われ者に成っていた。
全国有数の私立中学に進学すると他の生徒の学力も高かった為か初めて学友が出来る様になるも、いずれライバルと見なす様になり再び孤立の道を自ら選ぶ。
高校で一度、成績が伸び悩み、挫折感を味わうが猛勉強の末、旧東京大学法学部に現役で合格。在学中に司法試験にも合格し卒業後は旧大蔵省に入省。
様々な要職を経て退官後に弁護士と成り、この頃から一貫して【死刑廃止論】を訴えていた。
その後、地元の市長選に立候補するも落選。だが翌年に左派系政党の公認を受け衆議院議員総選挙に立候補し初当選。
以後、いわゆる人権派の急先鋒と成り、国会に留まらず各種、講演会、討論会等で持論を展開しメディアからの注目を集め【ミスター人権】と呼ばれる様に。
やがて、野々山の所属する政党が政権を握ると本人も念願であった法務大臣に就任。
「これで死刑廃止に一歩、近づいた!少なくとも私が大臣の間は国家による【殺人】は決して行わない!」と意気込み、支持者や左派系マスコミからは歓迎されたが、本来の責務を怠り自身のポリシーを優先させる、その姿勢には多くの批判の声も上がった。
そんな中、野々山にとって凋落の第一歩となる出来事が起こる。
あるテレビ局にパネリストとして呼ばれ少年法や死刑制度をテーマに扱った討論番組に出演。
実は、この番組は左翼的イデオロギーが巧妙に仕組まれた番組作りが成されていた。
現に反対派は野々山を始め、同政党所属の議員に弁護士等のインテリ層が揃えられ、司会者はリベラルを代表する様な人物。対する賛成派は当時、野党の若手議員と保守論客が各1名ずつ。後はお世辞にも知性的とは言えないタレントばかりが集められた。
討論が始まると、司会者が先ず賛成派の議員に発言を求め、その議員が一般論で死刑制度の必要性を訴える。
対して野々山が持論を理路整然と唱え、それに合わせて反対派がそれに付随し賛成派議員の意見を厳しく批判する。
保守論客が再反論に口を開こうとすると、それを遮るかの様に反対派が次から次へと喋り始め、公正でなければならない筈の司会者も、それを静止しようとはせず、むしろ反対派の意見ばかりを中心に議論を進めようとしている様にも思えた。
賛成派のタレント達も、それぞれ独自の意見で反論を試みるが相手は思想が偏っていたとしてもインテリ。全く相手に成らず、逆に、やりこめられ、会場の観客、テレビ視聴者から観ても反対派が優勢なのは一目瞭然であった。
やがて途中経過で会場内の観客に意見が求められるコーナーに移ると、女子アナ・インタビュアーから学生や女性を中心にマイクが向けられた。
殆どが当たり障りのない模範的とも言える様な意見で、たまに賛成派支持の意見が出たりすると、一般人だというにも拘わらず反対派陣営から容赦無い質問責めをされ萎縮してしまうという様な場面も有った。
自分達が意図する方向に話が進んでいる事に満足したのか、司会者と野々山達が何処か不適な笑みを浮かべる。
だが、その時
「私にも言わせて下さい!!」
一人の女性が大声を上げて立ち上がった。
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