重厚なビートと圧倒的な存在感で、ロック史に名を刻んだドラマー:コージー・パウエル(Cozy Powell)。

その力強いドラミングは、レインボーやブラック・サバスなど数々の名バンドを支え、多くのミュージシャンに影響を与えました。
実は、自民党新総裁の 高市早苗氏 も、ラジオ番組「BABYMETALのメタラジ!」で「コージー・パウエルがムチャクチャ好きで」と語ったことでも話題に。
今回は、そんな伝説のドラマーの軌跡を分かりやすく紹介します。
概要(基本情報)
項目 | 内容 |
---|---|
本名 | Colin Trevor Flooks ウィキペディア+2Google Sites+2 |
愛称 / ステージ名 | Cozy Powell(「Cozy」はジャズ・ドラマー Cozy Cole にちなむ)ウィキペディア+2Joe Geesin+2 |
生年月日 | 1947年12月29日 ウィキペディア+2Google Sites+2 |
出生地 | イングランド、グロスターシャー州サイレンセスター(Cirencester)ウィキペディア+2Google Sites+2 |
死没 | 1998年4月5日(事故による交通死亡)ウィキペディア+2Joe Geesin+2 |
活動ジャンル | ハードロック、ヘヴィメタル、プログレッシブ・ロック、ブルースロック、フュージョンなど多様 ウィキペディア+2Now Spinning Magazine+2 |
活動期間 | 約1964年~1998年 ウィキペディア+2Joe Geesin+2 |
生い立ちと初期
幼少期・ドラムとの出会い
コージーは養子として育てられ、生みの親とは会ったことがないと言われています。ウィキペディア+1
12歳ごろから学校のオーケストラでドラムを演奏し始め、独学でドラムを叩きながら耳で音楽を学んでいきました。ウィキペディア+2Now Spinning Magazine+2
バンド活動の始まり
若い頃は “The Corals” や “The Sorcerers” といったバンドで活動。Now Spinning Magazine+2Joe Geesin+2
やがて「Youngblood」「Ace Kefford Stand」などを経て、セッションやレコーディング活動でも名前をあげていきます。Joe Geesin+2Now Spinning Magazine+2
セッション・ワークとソロのきっかけ
ミッキー・モスト (Mickie Most) のプロデュースでセッションに参加し、「Dance With The Devil」というソロ名義のインストゥルメンタル曲が英国チャート入りするなど、ドラマーとしてだけでなくアーティストとしても認知されるようになります。Oocities+2Joe Geesin+2
バンド参加とキャリアのハイライト
コージー・パウエルは、多くの著名バンドやアーティストと共演・所属してきました。以下はその代表的なものと彼の役割です。
バンド / アーティスト | 参加時期・特徴 | コメント |
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The Jeff Beck Group | 初期~1970年代 | 代表作「Jeff Beck Group」「Rough and Ready」に参加。ウィキペディア+2Joe Geesin+2 |
Rainbow | 1970年代後半 | リッチー・ブラックモア率いるバンドで、派手なロック/メタルサウンドに力強いドラミングを加える。Google Sites+3ウィキペディア+3Now Spinning Magazine+3 |
Michael Schenker Group (MSG) | 1980年代 | 元UFOのギタリスト、マイケル・シェンカーのプロジェクトでドラムを担当。ウィキペディア+2Joe Geesin+2 |
Whitesnake | 1980年代 | ハードロック/メタル志向のサウンドで、彼の豪快なドラミングがバンドに厚みを加える。ウィキペディア+2Joe Geesin+2 |
Emerson, Lake & Powell | 1980年代 | 通常の「ELP (Emerson, Lake & Palmer)」に代わって組まれたプロジェクト。コージーはこの三人編成でドラムを担った。ウィキペディア+2Joe Geesin+2 |
Black Sabbath | 1980年代後半〜1990年代 | 重厚なメタルサウンドを支えるドラマーとして、アルバム「Headless Cross」「Tyr」などに参加。ウィキペディア+2Joe Geesin+2 |
Brian May(ソロ/共演) | 1990年代 | クイーンのギタリスト、ブライアン・メイとの共演やアルバム参加。Joe Geesin+2ウィキペディア+2 |
その他 | Gary Moore、Peter Green、Suzi Quatro、Thin Lizzy など多数 | 幅広いアーティストとコラボレーション。Google Sites+3ウィキペディア+3Joe Geesin+3 |

自分は幸運な事に89年のサバス(新宿厚生年金会館)と93年のB・メイ(東京ベイNKホール)の2回、生でコージーを観る機会に恵まれました👍
ソロ作品・アルバム
コージーはバンド参加のほか、自身の名義でソロアルバムも発表しています。
代表作には以下があります:
- Over the Top
- Tilt(日本では “Thunder Storm” のタイトルで出されることも)ウィキペディア+2Joe Geesin+2
- Octopuss
- The Drums Are Back
- Especially For You(亡くなった後に発表)ウィキペディア+2Joe Geesin+2
これらの作品では、インストゥルメンタル曲やドラマーとしての自己表現が前面に出されています。






スタイル・演奏の特徴と影響
- パワフルな打撃
コージー・パウエルは「重厚でパワフルなドラミング」によって知られ、ロック・メタルの世界で「豪快なビート」を叩き出すドラマー像の代表格でした。Google Sites+3Now Spinning Magazine+3Joe Geesin+3 - 多様なジャンル適応力
堅牢なロック/メタルから、プログレッシブな曲・フュージョン的要素、さらにはオーケストラ風のアレンジを伴う曲まで対応できる柔軟性を持っていました。Now Spinning Magazine+2Joe Geesin+2 - ドラムソロと独自の演目
ライブではドラムソロを披露することも多く、たとえば「633 Squadron(英国の映画主題曲)」「1812序曲」などを取り入れてドラミングを展開することもありました。Now Spinning Magazine+2Joe Geesin+2 - 影響力と評価
多くの後進ドラマーにとっての指標となり、ロック/メタル界では伝説的存在とされています。参加アルバム数は60枚以上(参加・協力含む)とも言われています。ウィキペディア+2Now Spinning Magazine+2
最期・死とその後
- 事故による死
1998年4月5日、イングランドの高速道路(M4)付近で交通事故により亡くなりました。ウィキペディア+2Joe Geesin+2 - 追悼・トリビュート
・日本ではドラマー・樋口宗孝(Loudness)が中心となってトリビュート・アルバム『Cozy Powell Forever』が制作され、多くの日本のロック/メタル・ミュージシャンが参加しました。ウィキペディア+2ウィキペディア+2
・サイレンセスター(生誕地)には記念のプレート(“Blue Plaque”)が設置され、ブライアン・メイらが除幕式に参加しています。ウィキペディア+2Joe Geesin+2 - 遺作や未発表音源
亡くなる直前まで録音を行っており、未発表トラックやドラム音源が遺されているという報告もあります。ウィキペディア+1
なぜ彼は特別なのか
コージー・パウエルは、ただ単に「上手いドラマー」以上の存在です。以下の点が、彼の特別さを物語っています。
- ジャンルを超える演奏力
ロックからプログレ、フュージョン、メタルにまで柔軟にこなしたその対応力は、幅広い音楽愛好家にも訴えかけます。 - ステージでの存在感
彼のドラミングは、聴き手に衝撃を与えるような力強さと自在さがあり、ライブ体験を強く印象づけるものでした。 - 膨大なコラボレーション歴
多くの著名ミュージシャンやバンドと仕事をしたことで、その名は音楽界に深く刻まれています。 - 影響の継承
彼のスタイルや精神は、後進のロック・ドラマーたちにとっての道標となり、今なお語り継がれています。
🎵 まとめ
ロックの黄金期を支えたドラマー、コージー・パウエル。
そのエネルギッシュで精密なプレイは、今なお多くの音楽ファンを魅了し続けています。
そして、政治という異なる世界に身を置く高市早苗氏までもが心を動かされたという事実は、
「音楽の力が時代も立場も越えて人を結ぶ」ことを静かに物語っています。
彼のドラムが刻んだリズムは、世代を超えて、私たちの胸の奥で今も鳴り響いているのです。
↓高市早苗氏(サナメタル)が出演された「BABYMETALのメタラジ!」はコチラ↓
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