開演予定時間10分前の場内は既にスチームでも焚いたかの様な熱気に満ち溢れていた。
ほぼ満席に近い状態の客席。
今は空席の箇所も数分後には喫煙所で一服している者やトイレに並んでいる者、仕事を終えて駆け付けるビジネスマン達で完全に埋まる事だろう。また2階席最後方の通路は既に多くの立ち見客が犇めいている。
独特な喧騒の中、そこかしこから聞こえてくる永ちゃんコールに心地良さを感じつつ自分達の席へと向かう麻理子。
裕司に手を引かれながら麻理子は改めて自身が、この6年間のYAZAWAの唄と共に過ごした時間に思いを廻らせた。
あの日あの時、親友の遥子に連れられて来た時には現在の自分を想像する事など全く出来なかった。
遥子が与えてくれた機会。遥子を通じて出逢ったYAZAWAの唄と多くの素敵なYAZAWAファン達。
稀に最低限のマナーすら持ち合わせていない者、関わりたくない、仲良くしたくないと思わせるファンも確かに居たが、その様な輩は多かれ少なかれ他の環境でも居る物で、時には、むしろ一般人の方が非常識なのではと思う事も度々あった。
それに自分の仲間は、かつて遥子が言っていた様に皆、陽気で楽しくて心温かく思い遣り深い人達ばかり。
また、そんな仲間達が更に与えてくれる新たな出会いと、共に過ごした多くの充実した日々。
時に悲しい出来事も有ったが、それもまた人生。
それ等全てが麻理子にとって掛替えの無い財産となっていた。
もしYAZAWAと出逢っていなかったら、それはそれで違った人生を歩んでいただろうが、こんなにも、その時々の時間を色濃く感じ得る日々を、現在の様に様々な感動を共有出来る機会に恵まれる事は無かったに違いない。
ロックンロールに感謝。
そして改めて遥子に感謝の気持ちを抱く。
その遥子と連れの典子は2階席南F列南西寄りの端に居た。
お互いに気付いて手を振り合う。
2階席南西部L列の席に来ると麻理子がバッグから袋を取り出す。
裕司が受け取り袋の中から少し色褪せたビーチ・タオルを取り出しては通路側に面した二人分の座席に広げ、その上に麻理子が一つの写真立をそっと添える。
雄一郎の形見のタオルと神崎宅の書斎に飾ってあった夫婦二人が揃って写っている写真。
「貴方達のお友達?」と真後ろの席に座る御婦人が聞いてきた。
「はい!大切なYAZAWA仲間です!」
麻理子と裕司がぴったり声を合わせる。
「そう」
ニッコリと笑う御婦人。歳の頃は澄子と同じ位の方だろうか。
会場には6歳の子供から、こちらの御婦人の様な大人迄、幅広い年代の者達が一堂に集まり一人の男がステージに現れるのを今か今かと待ち侘びている。
「わぁ!敏広達、最前列だよ!」
裕司が指差す方へ目を向けると花道側に座る大きなお腹の美由紀に会場スタッフが何やら話かけているのが見えた。
「あんな所で赤ちゃん産んだら永ちゃんもビックリだろうね」と二人で笑う。
武道館での出産は叶わなかったが美由紀は2日後に無事、元気な双子の女の子を産む。
「トラバス演るかなぁ?」
「最終日なんだから今日は演って欲しいよなぁ!」
周囲から聞こえてくる声に麻理子と裕司の二人も思わず頷いてしまう。
この年、矢沢永吉はコンサートの定番曲とも言える♪トラベリン・バスを何故か封印。
東京ドームでも演奏されずツアーでも神奈川県民ホールのアンコールで披露された位であった。
幸運な事に麻理子と裕司は、その時のライヴに参戦する事が出来たのだが、やはり武道館でもトラバスで盛り上がりたい、タオルを投げたいと強く思っていた。
麻理子がバッグから丁寧に畳んである自分のビーチ・タオルを取り出し膝の上に置くと突然背後から
「永ちゃんコール行きまーーーーす!!」
天井に近い席に居る白スーツの男が立ち上がって叫びだした。
仲間と思われる両サイドの男達も立ち上がって一緒にコールを上げ周囲を盛り上げる。
それに乗って着席したまま一緒に永ちゃんコールを始める他のファン達。
裕司と麻理子も、それに合わせて手を叩きリズムを取る。
「ありがとうーっ!!」
一頻り盛り上げお辞儀をする男に周囲から拍手が贈られる。
またアリーナ中央付近で剛健と仲間達が永ちゃんコールをしている所にSPが近寄って何やら注意されているのが見え、麻理子達の席からは見えなかったが1階席、南東の最前列に居る眞由美はアリーナ席を煽る様に永ちゃんコールを展開。
その横で拳斗は椅子に座りながら先程、眞由美に抓られたお尻の痛みをじっと我慢していた。
千秋楽。
「今年も頑張れた。永ちゃんのお蔭で、また来年も頑張れる」というファンが一堂に会する日本武道館。
年の瀬の忙しい中、頑張って仕事を終えた栄太郎が1階スタンド席に滑り込む。
「間に有ったぁ!」
全公演制覇は成らなかったが武道館は5日間全て観る事が出来た莉奈も2階席東の2列目に腰掛ける。
そして
「皆様、本日は御来場、誠に有難うございます!」
場内アナウンスが聞こえドッと会場が湧き上がる。
「間も無く開演です!」
一斉に立ち上がるオーディエンス。
タオルを広げ自身の肩に掛ける麻理子。
永ちゃんコールの大合唱が始まり裕司と麻理子も一緒に歌う。
「永ちゃん!永ちゃん!永ちゃん!永ちゃん!」
武道館が揺れる程の激しい永ちゃんコール。
会場全体が一つに成る様な一体感。
最前列では美由紀が身重とは思えない程に燥いで盛り上がり敏広を益々心配させ、賢治と加奈子、拳斗と眞由美、愛美と洋助、里香と明夫、千晶と永悟、豊と琴音、そして真純や剛健達、莉奈に栄太郎もそれぞれの席で思い思いに永ちゃんコールをまだ誰も居ないステージに届ける。
一方、寺田兄弟は、まだ照れが有るのかコールはやらず周囲に合わせて手拍子を叩き、その横で、それぞれの奥方の不快感はこの時ピークに達し、また遥子の隣の席で典子は周囲の盛り上がりに度胆を抜かれていたが30分後には彼女達も自ら控えめな永ちゃんコールを夫や遥子に合わせて囁く様に成るのであった。
程無く会場内の照明が落とされ真っ暗になる。
一瞬コールが止み凄まじい程の歓声が武道館全体に響き渡る。
再び永ちゃんコールが湧き上がるとステージでは、それぞれの持ち場に着くバック・ミュージシャン達の影が見え共に主役の登場をジッと待つ。
だが、その主役が現れる前にステージ上手側、ホーン・セクションのポジションにもバックのメンバーが配置に着くのが見えた。
「まさか…」と呟く裕司。
オープニングから、この様なセッティングに成る事は、この年のコンサートでは今迄無かった。
裕司と麻理子が互いの顔を見合わせる。
同時に笑顔で頷く二人。繋いでいた手を一度離し肩に掛けていたタオルを手にする。
自然と隣の席に視線を送る麻理子と裕司。
この時、二人には確かに見えた。
自分達と同じ様にタオルを手にする雄一郎と澄子の姿が。
そして暗闇を引き裂く様な鋭いフィード・バックが鳴り響き武道館全体を奮い立たせる中、下手側から大歓声と共に現れた一人の男のシルエットが白いマイク・スタンドを手に取った。
今日、矢沢永吉のコンサートは一先ず終わりを迎える。
だがそれは、また新たな旅立ちの始まりでも有るのだ。
YAZAWAが歌い続ける限り、麻理子達を乗せたトラベリン・バスは果てしない人生という旅路をこれからも走り続け、そして麻理子は行く先々で新しい扉を開き続けるであろう。
愛する者達との思い出と絆と共に。
「ルイジアーナッ!!」
おわり
御愛読ありがとうございました。
コメント
あ~~最終回なんだな~と思うと・・・
読み始めるのがちょっと悲しかったです。
でもこの終わり方・・・ 愛情いっぱいの視線で
でも、語りすぎず、すべての想いを淡々と情景描写に託して、
最高の終わり方ですね。余韻が無限に広がります。
長い時間渾身の力作で楽しませて下さって
有難うございました
AKIRAさん♪

楽しさ
感動





【女たちのトラベリンバス】
お疲れさま&ありがとうございましたm(__)m
振り返れば、2010年12月10日から女とらが始まり、私だけでなくたくさんの方々が、毎回の更新を楽しみに心待ちにしていましたよね
YAZAWAに出逢ってなければ、、、の下りは
私もいつも胸に想っています
永ちゃんに出逢えて無ければ、感じる事の無かった喜び
そして、生涯を通じての大切なYAZAWA仲間たち
永ちゃんに心から感謝
ロックンロールに心から感謝
明日から、心にポッカリ穴が空いちゃう感じですが、またいつの日か、この愛すべきYAZAWA仲間との再会を楽しみにしています
今年も武道館最終日
大好きなトラバスでタオル投げしたいなっ~(*≧∀≦*)
沢山の感動をありがとうございました。
また長い間の執筆、お疲れさまでした。
(次の章が読めない事はかなり寂しいですが。)
小説を読んでいる時はまさに自分もその場に居る様な
臨場感を味わい、読み終えると永ちゃんと出会ってからの35年の
色々な事を思い出させてくれました。
ホントに素敵な物語を有難うございました。
ブログにはこれからも遊びに来たいと思います。
今後ともヨロシクおねがいします。
また、いつの日か、AKIRAさんの小説に
出会える事を楽しみにしております。
長きに渡っての連載お疲れ様でした!!
毎回 毎回、この女トラを読むのが楽しみでしたが、最終回だとわかるともの悲しい感じもします。
また、次回作があれば楽しみに待ってます!!
Baybreezeさん♪^^
http://s.maho.jp/homepage/6ba89ec2cff34907/
こちらこそ長きに渡って女トラを楽しんで下さり有難うございました
実は連載開始前からタイトルを決めた時点で、この終わり方で〆ようと決めておりまして、どうやって此処まで持ってこようか試行錯誤を繰り返しつつ執筆活動を続け、気が付けば当初、思い描いていた物よりも遥かに長い代物になってしまいました(笑)
また今回も勿体無い御言葉、誠に恐縮であります
改めて御挨拶させて頂きたいと思うので、もう少し御付合い願いますヨロシク
ぺこちゃんさん♪^^
こちらこそ最後まで楽しんで頂き有難うございました
連載開始当初は10数人程度のアクセス数だったのが御蔭様で多くの方々に読まれ、また嬉しいコメントを頂き、更にweb上、リアル共に新たな出会いにも恵まれました
もし、また麻理子達に逢いたくなったなら、また第一話から読み返して下さいませ(笑)
連載が終わっても女トラは我がblogに永遠に残ってますので
また武道館でヨロシクです
らきあさん♪^^
こちらこそ、こんなド素人の物書きに御付合い下さり誠に有難うございます
出来る限り永ちゃんのコンサートとYAZAWAファンの醸し出す雰囲気をリアルに表現したかったので、らきあさんの様な先輩ベテランファンの方から頂くお褒めの御言葉、大変嬉しく思います
下らない記事も度々書く事も有りますが、これに懲りずに、また、いつでも気軽に遊びに来て下さいませ
尚、次回作はYAZAWAとは無関係に成る物と成りますが良かったら再びの訪問お待ちしておりますヨロシク
コウジさん♪^^
http://ameblo.jp/misato1985rocknroll/
こちらこそ最後まで女トラを楽しんで頂き有難うございます
まだ未定ですが短編ながら続編も有り得るので、その時はヨロシクお願いします
また既に申しましたが次回作は連載するとすればYAZAWAと無関係の予定ですが、それでも良かったら改めてヨロシクです
「ルイジアナ~!」とうとう終わってしもた・・・
いろんな感想があるけど、
お疲れさまでした。
ほんまに、おおきにありがとう。
大阪の永ちゃん狂い♪さん♪^^毎度です
こちらこそ最初から最後まで御付合い下さり本当に有難うございました
また改めて御挨拶させて頂きますのでヨロシクです
普段はガチで読書するって事はあまり無いのですが、最後まで読み切った達成感と充実感が心地いいです。
素晴らしい作品に出会えて幸せです。
これからも色んな形での矢沢愛の提言とか発信を楽しみにさせて頂きたいと思っています。
私もなるたけキャッチボールを心がけたいと思っています。
貰い放しではつまらないですから。
重ね重ねありがとうございました。
一段一頻りでお疲れ様でした。
長い間本当にどうもありがとうございました。
麻理子やその他登場人物の物語として楽しめたこと、そして実際のコンサートやそれにまつわる情景描写・心理描写を読み、疑似体験できたこと、この2点が素晴らしかったです。
だから二つに対してお礼を言わせて下さい。
しかもこの終り方は凄いですね。
お世辞抜きで『ゴッドファーザー part2』に匹敵すると思います!
k’sさん♪^^
こちらこそ最後まで読み切って下さり有難うございます
また勿体無い御言葉も頂戴して恐縮です
YAZAWA関連の記事に関しては歪んだ愛情表現が多くなると思いますが(笑)
これに懲りずにいつでも遊びにいらしてコメントも気軽に書き込んで下さいませ
改めて今後もヨロシクお願いします
ハルモニアさん♪^^毎度です
こちらこそ読破&嬉しいご感想、誠に有難うございます
そこまで褒めて頂けると最後まで書き切って本当に良かったと改めて実感出来る次第です
〆に関しては、かなりの自信が有りましたが『ゴッドファーザー part2』と比較して頂けるとはオレも気に登る程、点け上がってしまいそうです(笑)
関係有りませんが頂いたコメント読んで久々にGFシリーズ観たくなりましたワ
またヨロシクです