裕司が、お兄ちゃんと呼ぶ汐崎雅彦は厳密には9歳上の従兄弟で癌が原因で物心ついた頃には視力を失ってしまっていた。
だが、その影響か聴覚は非常に鋭く絶対音感の持ち主で4歳でピアノを始め6歳に成ると一度聴いた音楽の殆どをその場でピアノで再現出来る位の腕前に成長していた。
2人が初めて会ったのは裕司が5歳の頃。
雅彦の住む二子玉川の家に親戚一同集まった時であった。
この時、何かの余興で雅彦がピアノでショパンの♪革命を披露。
その音に裕司は生まれて初めて『ブッ飛んだ』とゆう感覚を味わった。
演奏が終わると親戚一同から拍手が起こり皆、異口同音に雅彦を絶賛しだした。
だが当の雅彦はその賛美の声にあまり嬉しそうではない。
裕司も父に感想を聞かれ思った事を率直に口にした。
「お兄ちゃん凄いね!目が見えないのに」
この子供の素直な感想に親戚一同は凍り付いた。
廻りの突き刺さる様な視線が幼い裕司と父に向けられる。
「裕司!!」
父親は大声で裕司を叱り出した。
理由も判らないまま怒鳴られ泣き出す裕司。
だが、それを庇ったのが雅彦であった。
「僕が目が見えないのは事実じゃないか。なのに何で皆してその子を叱るんだ?酷いじゃないか!」
実際に叱っているのは裕司の父一人なのだが廻りの皆も同意見だという事を雅彦はその場の空気で敏感に察知していた。
雅彦は自分が盲目である事を過剰に意識して、まるで腫れ物に触る様に接してくる周囲の者達が本当は嫌で仕方が無かったのだ。
この事がキッカケで雅彦と裕司は急速に仲良くなり裕司が小学校に上がる頃には月に1回のペースで一人で昭彦の家に遊びに行く様になった。
雅彦はクラッシックピアノは勿論、ジャズやロックのCDも部屋の壁が一面埋まる程所有しており、よく聴いていたのがオスカー・ピーターソン、アート・テイタム、エルトン・ジョン、TOTO、EL&P、YES等々。
中でも特にお気に入りだったのがビリー・ジョエルで遊びに行くと、それ等のCDを片っ端から聴かせてくれ、時には音源に合わせながら生演奏を披露したりしてくれた。
その影響で裕司も洋楽を聴く様になり当時最も好きだったのが麻理子と同じビリー・ジョエルの♪オネスティであった。
そしてある日、裕司が何気無く曲に合わせて鼻歌を歌っていると
「もっとちゃんと歌ってみ!」
「えっ?」
「曲に合わせてちゃんと歌ってみろよ」
「僕、英語、判らないよ」
「そんなのは適当でいいんだ。ハミングでもいいから合わせてみろ」
その時、部屋に流れていたのはビリー・ジョエルの♪Uptown Girl。
裕司は言われた通りデタラメ英語で歌ってみた。
曲が終わると
「裕司、お前やっぱりいい声してるな!」
「えぇ~っ?」
「もう一度、最初からやってみよう!」
曲をリピートして今度は始めから歌う裕司。
それに合わせて雅彦がアドリブでアレンジしたピアノを被せてくる。
この時、裕司は生の音に合わせて歌う楽しさを知った。
「やっぱりだ!裕司、お前は天性の声の持ち主だ!」
「えぇ!?そんな事無いよぉ」
「僕が言うんだから間違い無い!ちゃんとレッスンやボイトレを受ければプロだって夢じゃないぞ!」
嬉しい様な恥ずかしい様な。だが雅彦に言われると何だか自分でも自信が持てる様になってきた。
それから遊びの延長で裕司はマンツーマンで雅彦からのレッスンを受ける様になった。
「もっと腹から声を出してみ!」
「え?」
「お腹の中から声を出すんだ!」
「解らないよぉ」
「大きく息を吸ってヘソの下辺りに力を入れるんだ。それで喉じゃなく腹を意識して歌ってみろ!」
まだよく解らないが言われた通りやってみた。
「おぉ!いいぞ!いい感じになってきた!」
裕司も何となく感覚が判ってきた。雅彦のピアノも勢いに乗ってくる。
「もっと腹に力を入れてみろ!」
言われた通り腹に力を入れる裕司。だが
ぷ~~~~~~っ!
余りに力み過ぎてオナラが出てしまった。
「はははははははは!」
突然のノイズに笑い出す雅彦。裕司も鼻を摘まんで一緒になって笑った。
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