葬儀が終わり梶ヶ谷の家に帰る裕司と麻理子。
居間に迄上がると心身共に疲れ切ってしまっていた麻理子は喪服のまま気を失う様に畳の上で眠ってしまった。
布団を引いて目を覚まさない様に麻理子を何とか抱き上げ寝かしつける。
そこにミィが駆け寄って麻理子の寝顔に肉球を押し付けようとする。
「コラコラ駄目だよ!」
小声で注意する裕司。
主を失ったミィは、裕司が、厳密には麻理子が引き取り今は裕司宅で世話になっていた。
するとミィは麻理子の布団に潜り込んで胸元辺りでゴロゴロと喉を鳴らしながら一緒に寝てしまった。
束の間の安らぎ。裕司も微笑みを漏らす。
ここで裕司は麻理子の母、香澄の携帯に電話をかけ事情を話し今日は家に泊めると報告。
緩めたネクタイを外し台所のテーブルの上に放り投げ冷蔵庫から缶ビールを取り出しては乱暴に閉める。
500mlの缶を半分近く一気飲みし喉を潤しては身を投げ出す様に椅子に座り項垂れる。
「はぁ……」
溜息を吐きビールをもう一口飲む。
不味い。苦いのでは無く、いつもなら美味いと感じる物が、今は殊の外、不味く感じる。
手が滑って缶を落としてしまい零れた中身で床を汚してしまうも掃除をする気も起きない。
足元に転がってくる缶を蹴飛ばす。
弾みで濡れた靴下を不快に感じつつ、ふと急に、ある日の雄一郎の言葉を思い出す。
「なぁ裕司、お前も本当だったら大学に行きたかっただろう?」
とある居酒屋にて二人だけで飲んでる時の会話。
「そりゃまあ、親父が亡くなる前は進学するつもりでしたから」
だが、別に勉強が好きでも無ければ得意でも無く、いわゆるキャンパス・ライフに憧れていただけで、その後、進学した敏広や賢治からマンガやドラマとは違う大学生活の現実を聞いてからは行くだけ金と時間の無駄とも思える様になっていた。
「でも何でまた急に?」
「いや大した話じゃ無いんだがな」
この時の雄一郎は普段と違い何処と無く神妙な面持であった。
「ワシも永ちゃん程では無いが子供の頃は苦労の連続でなぁ」《173参照》
その話は以前、聞かせて貰っていたが、雄一郎の幼少期の境遇は裕司には決して永ちゃん程では無いなんて思えなかった。
「何で自分がこんな目に合わなきゃならないんだ。どうしてワシばかりが酷い目に合うのかと。御袋が生きてさえいてくれたら、なんて時には生みの親を恨んだりしたもんだ」
口調は明るいが言葉の端々に何処か愁いを感じる。
「だが今、思えば、それが有ったからワシは岐阜の片田舎から出てきては横浜で人生の再出発が出来、ウチの女房やお前、更には真純ちゃん達と出会う事が出来た。そう思うとワシの人生も、そんな悪いもんじゃ無いと思えてなぁ」
「それは神崎さんが頑張ってそう生きてきたからでしょう。永ちゃんの様に頑張って頑張り抜いて走り続けてきたから」
「永ちゃんはそうかもしれんがワシの場合は頑張るしか無かったんだよ。そうしなければ生きていけなかった」
御猪口を傾け手酌で注ぎ足す。
「だが永ちゃんだってそうだろ?もし永ちゃんが何不自由無い家庭に生まれ育っていたなら、あの天下の矢沢永吉は世に出ていなかったかもしれんじゃないか」
確かにそうだ。仮に矢沢永吉が恵まれた境遇で普通にレコード・デビューしていたなら、あれ程、多くの者達の心に響く様な血の通った唄を歌う事が出来たであろうか?自分達も、そんなYAZAWAに感銘を受けていたであろうか?
「それはともかく、お前が普通に大学に行っていたらワシはお前と会う事は無かっただろう。つまりそれは永ちゃんや敏広達、お前の仲間とも会えず仕舞いだという事になる。だからワシはお前がウチの工場に就職してきてくれて本当に良かったと思ってるんだ。おぉっと誤解しないでくれよ!お前の親父さんが亡くなって良かったって意味じゃあ無いぞ!」
「解ってますよ」笑う裕司。
「まぁそれは、お前が他の職場に行ってたら同じ事だがな。兎に角ワシはお前から何て言うか人生がワクワクする様な楽しい物を与えて貰った。それに心から感謝してるんだ。だがワシは、それに対して御礼とゆうか、お前に恩返しが出来ていないし今後も出来そうに無い。そう思うと何だか申し訳なくてなぁ」
「とんでもない!前にも言った様に俺は神崎さんにお世話に成りっぱなしだから『あり爆』の時、神崎さんをお誘いしたんで…」
高校卒業後、就職したばかりの頃は身体を壊し入退院を繰り返す母の面倒を見ながら働いていた為、裕司の食生活は偏り健康面にも悪影響が出てしまっていた。
日を追う事に顔色が悪くなってゆく裕司を見兼ね「お前ウチで飯食ってけ!」と雄一郎が夕飯を御馳走。
それが縁で裕司は神崎家の社宅に出入りする様になり、また、裕司の家庭環境を考慮する様、工場長に進言してくれたり、それから、新人である裕司に雑務を押し付けて楽をしようとする先輩工員を一喝してくれたり、更に、澄子が時に自分と母親の分まで弁当を作ってくれたり男でも簡単に出来る料理の作り方を教えてくれたりと、あの頃の裕司にとって神崎夫妻は正に恩人、有る意味、第二の両親とも呼べる様な存在であった。
「まさか……親を亡くす様な悲しみを二重で経験するなんてなぁ……………」
暗い台所で裕司は一人、静かに泣いた。
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