野上龍太は関東のとある政令指定都市で空手の道場を経営していた。
中学時代は札付きのワルで毎日、喧嘩に明け暮れるも高校の時に入部した空手部の顧問に性根を叩き直され、この顧問と空手との出会いが龍太にとって人生の大きなターニング・ポイントと成った。
卒業後は都内で働きながら、某、有名フルコンタクト空手団体の道場に入門すると、後に選手として全日本大会でも上位入賞する程の活躍を見せ、一度は総合系のプロ格闘家を目指した事も有ったが慢性化した腰痛を理由に断念。引退後は指導員を経て、やがて独立する。
生まれ育った町に戻り青少年育成を目的にした空手の道場を立ち上げ経営も順調であった。
その後、幼馴染の水橋慶子と結婚。子宝にも恵まれ龍太は当然の如く我が子を自身の道場へと入門させる。
龍太の愛息、拳太は父親の子供時代と違い素直な良い子で、教えた事をみるみる吸収しては日に日に強くなっていき小学校3年の時に初めて出場した他流派のジュニア大会ではベスト8入賞。翌年には上級生を抑えて何と優勝してしまう程に成長していた。
勉強の方も教育熱心な慶子のお蔭で成績優秀で何処に出しても恥ずかしくない、正に自慢の息子であった。
中学生に成ると、もう同級生では相手に成らず出稽古先の高校生や大人相手にも互角の組手をやってのけ他の道場、流派からも一目置かれる程に成長し「未来の世界チャンピオン」と将来を有望視されていた。
だが、そんな素直さが悲劇を呼び込んでしまった。
「お前、空手やってんだってな」
「だったら俺達と勝負してみろよ!」
ある日、地元の不良高校生3人組が突然、拳太に絡んできたのだ。
本来なら、こんなチンピラ3人位、拳太なら簡単に勝てる事が出来た。
だが指導者でもある父、龍太は
「絶対に空手を喧嘩に使ってはいけない!」
と、常日頃から拳太は勿論、道場生達に言い聞かせていた。
そして同時に
「男だったら絶対に、どんな試練や困難にも逃げずに立ち向かわなければならない!」
この教えが結局は仇と成ってしまった。
拳太は絡まれた事を試練と解釈し、この高校生達に言われるまま、公園の障碍者用トイレへと付いて行ってしまった。
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