第伍章:永い旅
神崎雄一郎の人生は決して平坦な物では無かった。
岐阜県の片田舎に生まれて幼い頃に母親とは死別。
しばらく父一人、子一人の生活が続き小学校入学の時期に父親が再婚。
これが雄一郎にとって地獄の始まりであった。
当初は雄一郎に対しても優しかった義母。
だが妊娠、出産すると自分が産んだ子ばかりを構いだし露骨に雄一郎を煙たがる様になる。
それを父に訴えるも「仲良くしろ!」と言うだけで何の具体策も講じてはくれなかった。
しかも義母は立て続けに合計4人も出産。当然、生活は苦しくなりその皺寄せは雄一郎に向けられ家でただ一人、長男とゆうだけでひもじい思いを強要させられてしまう。
更に今度は唯一の肉親だった父親が他所に女を作って蒸発。
児童虐待なんて言葉が無かった時代に義母の怒りは雄一郎への暴力と転化。
やがて中学生に成ると生活の為に義母から働きに出され、こんな家庭環境では進学など夢のまた夢。
そんな中、雄一郎の置かれている現状を知っていた担任の先生が「卒業したら家を出るんだ!」とアドバイス。
静岡県の住み込みで働ける工場を紹介してくれ卒業式を終えると先生や近所の優しき人達の援助で家には戻らずそのまま岐阜を出る。
環境が全く違う場所での新生活は戸惑う事も多かったが周囲の暖かい人柄のお陰で雄一郎はやっと人間らしい生活を自分の手で送る事が出来る喜びを噛み締めていた。
だがそれから4ヶ月後、何処で知ったのか義母が突然、職場に現れ今月から雄一郎の給料を全額、自分の所へと郵送して欲しいとゆう無茶な要求をしてきた。
《あの女はどれだけ俺の人生の邪魔をすれば気が済むんだ!》
雄一郎はこの時、本気で人殺しを考えた。だが社長が義母の要求を拒否。「二度と此処へは来るな」と追い払ってくれた。
「あんなキ○ガイ気にするな」と先輩工員達も気遣ってくれ本気で感謝する雄一郎。
しかし翌日から職場へとほぼ毎日の様にその義母から電話が掛かってくる様になり、その回数も一体どうやって電話代を工面しているのかと思える程、常識では考えられない量で、この嫌がらせが次第に業務にも悪影響を与えてしまい居た堪れなくなった雄一郎は謝罪の置手紙を残し工場から姿を消してしまう。
一度は消えた殺意が思い出されたが、それを実行したら逆に今迄お世話になった人達に申し訳が立たないと考えを改め雄一郎は当ても無く電車に飛び乗り気が付けば横浜にたどり着いていた。
着いたばかりの頃はホームレス同然の生活も送ったが再び住み込みで働ける工場で世話になり、そこでやっと平穏な生活を手に入れる事が出来た。
二十歳になると働きながら定時制高校に進学。高卒の資格を得ると同時に後に定年まで勤める事になる川崎の大手重工業の工場に再就職。
後に結婚。子宝には恵まれなかったが夫婦二人社宅で細やかながらも幸せに暮らし定年が近くなってきた頃に裕司が就職してきた。
若いのに真面目で勤務態度も良い裕司を雄一郎は気に入り時々、自分の社宅に招いては妻の手料理で持て成した。
裕司も雄一郎とは馬が合い上司と部下とゆうよりは歳の離れた友達とゆう感覚で付き合う事が出来、雄一郎もその様に接してくれた。
そして1999年のある日
「そんなに矢沢ってゆうのは凄いのか?」
「それに関しては断言しますよ!永ちゃんはマジ凄いです!」
「へぇ~!」
職場で事ある事に矢沢永吉の唄や名言を引き合いに出していた裕司。雄一郎でなくてもYAZAWAに少なからず関心が向いてしまう。
「そうだ!神崎さんにはホントお世話になってるんで俺がチケット取りますから今度、一緒に永ちゃん観に行きましょうよ!」
「ワシがか!?こんなジジィがロックなんて可笑しいだろう?」
「永ちゃんのコンサートには神崎さん位の年齢層だって結構居るんですよ。問題無いです!」
「ワシなんかより他のお前と同年代の奴等を誘った方がいいんじゃないか?」
「大きな声じゃ言えませんが連中にYAZAWAは似合いません。折角ですからその時に俺の仲間も紹介しますんでコンサート終わったら一緒にサイコーに美味いビール飲みましょう!」
エライ事になったとちょっと動揺する雄一郎。
だが後にこれが雄一郎の人生の大きな分岐点となるのであった。
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